6/11/2012

Rinko Kawauchi @ Syabi

ゼミの発表課題という事で、東京都写真美術館まで川内倫子の展示を観に行ってきました。
日曜日ではありましたが、まずその人ごみ=人気に驚きました。ビックリ。
(※以下、若干展示内容のネタばれを含みます。)

『照度 あめつち 影を見る』

入ってすぐ右側に、よくある「展示の趣旨」的なものがあって、その脇に広告ポスターでも使われている階段を女子学生が上っていく後姿を捉えたものが展示してありました。
この階段写真なんか、まさに自分のイメージする”倫子”って感じ。
自分の中でこの人のイメージは、「ふわふわ・シンプル・やさしい・淡い・光」みたいな。
生活、身の回りのありふれたものをスナップしている作家。ぐらいのものでした。

で、今回行ってみて、やはりそう思いました。ふわふわ。でもそれじゃありませんでした。
まず気になったのは、展示のスタイル。というか展示空間の設計。

廊下みたい。

さっきの「階段の写真」を過ぎると、あとはこの↑一直線の廊下スタイルの通路を通るしか選択肢はありませんでした。右にも横にも作品があって、突き当りにも。
この展示スタイルから感じたのは、見せたい物、見せる順番をコントロールしたい人なのかな?って事でした。脇にそれることを許さない。作品から逃げる事を許さない。そういう意味で。
面白いとは思いますが、個人的には窮屈に感じました。もうちょっとフラフラしたかった。
というのも、美術館とかギャラリーの面白いところって、”フラフラできる”ところだと思うから。
適当に気の赴くまま作品をみて、気に入ったら座り込んでボーっと眺め続ける。みたいな。
それが許されない空間でした。(自己主張の強い人なのかな?なんて想像してみたり。)

で、この廊下展示のあとは急に映像作品の上映スペースに突入します。
映像といっても、彼女の写真作品みたいな風景が若干動きながら流れ続けるというもの。
ここまで観てきて更に気付いたのは、人間の顔が全く写されていないという事。
手とか後姿が写っている写真もあるのですが、ほとんどは自然の風景とか何かのオブジェとかで、生き生きとした人間の表情は皆無。なんだか不思議でした。
こういうところから、彼女は人間(その人)自体には全く関心が無くて、その人間がしている動作とか作り出すものに関心があるんだなぁという事でした。しかもそれは、日々の営みというような身近な捉え方ではなくて、”神の創りたもうた人間の動作”という雰囲気。

この人の特徴でもある光の使い方からも、この”神”とか”聖なるもの”に向き合う姿勢?というか、こういうものを描きたいという気持ちというのは伝わってきました。
被写体から一歩引いて客観的に撮る事で、神の視点的な?描き方をしているというか。
個人的には、冷たい印象を受けました。ふわふわ女子かと思いきや、案外怖い。

で、このあともコンタクトシートとか、野焼きと嘆きの壁の写真とか、色々な展示があったわけですが、やはり印象に一番強く残ったのはこの人が描きたい光と影というイメージ。
明るい光があるからこそ、その脇にある影が見える。ふわふわしてるだけじゃなかった。

あと、この展示を観てる途中ずっと感じていたのは、

「あれ、ここは天国?」

っていうなんとも言いがたいふわふわした感覚でした。
光と影、人間の気配、どこかで見たことのあるような自然の風景。紅葉、雪、雨、雷、花火、あの日の食事・・・。きっと死ぬ瞬間の”走馬灯”というのはこういうものなんだろうなって思ったのでした。
”幸せ(だった頃)の記憶”みたいな。まだ死んでないけど。
天国みたいで、もしかしたら地獄かもしれなくて、なんだか分からないけど、ふわふわ。
そんな展示でした。ちなみに学生は600円です。

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Maira Gall